学習塾をはじめた理由

 

 にしじまひめじ学習塾は、夫婦で始めた地域密着の個人学習塾です。

 

 はじまりは、大学生時代に不登校の親戚の子どもの家庭教師を担当したことからでした。

 

 もともとわたし自身の兄弟が不登校で、わたし自身は両親の苦労も兄弟の思いも両方感じ取りながら育ちました。家庭教師のときもそれなりに双方の思いを理解している自負から引き受けましたが、あまりその不登校の生徒さんたちの力にはなれませんでした。その後も不登校やおしゃべりが苦手なお子さんの担当として家庭教師をすることが続きましたが、わたしとしては彼らの力になれたとは思えませんでした。彼らの何かを手伝いたい。もっと力になりたい。

 

 そんな経験から、わたしはこれまで多様なお子さまの学習指導に積極的に関わってきました。

 

 わたしの息子たちが発達障害だとわかったのは5歳の時でした。教育現場に長く関わってきた経験から我が家ではお腹にいる息子に先取り教育を始めていました。どんな子どもも最適なタイミングで最適な刺激があればとてつもないスピードで成長するものだと理解していたからです。それが結果的に発達障害らしい困り事から遠ざけて、幼少期に発覚すると言われる発達障害に気づくのが遅れました。(一方で、障害があったとしても教育で困り事を減らすことができると信じるきっかけにもなりました。)

 

 幼少期はキャンプに美術館、博物館、旅行に習い事、先取り教育や先進教育、シュタイナー教育ドーマンメソッド、モンテッソーリ、家庭保育園、七田式、英語教育のワールドファミリーなど、ヨーロッパのおもちゃや教育ツールを駆使しつつ、私自身も本や文献を読み漁りながら息子たちにいろんな経験をさせてきました。アドラー心理学も大変勉強になりました。

 

 しかし、発達障害にはそれだけでは乗り越えられない何かがあり、当時の講師の経験をもってしても太刀打ちできない大きな壁を感じました。今まさに困っている子育ての解決への糸口が見つからず暗闇を手探りで進んでいくような恐怖が常にありました。いっそ、田舎で半農半Xの暮らしをすれば人と関わることを避けられるのでは、と田舎に引っ越してプロに弟子入りして農業を1年間勉強したこともありました。試すことができそうなことはなんでもやってみたと思います。全国をまわり、色んな人の意見ややり方を真似ては実際に試して結果を眺めて良し悪しを考察し、より良いものを手にいれるために動き回りました。

 

 今になってやっと落ち着いて当時のことを振り返ることができるのですが、子育ては日々の積み重ねそのものでした。誠実に向き合い続ける。毎日、あれやこれやと試行錯誤しているうちに臨機応変に対応する力や、彼らの思いを理解する力が、自然と養われていったように思います。おかげで、学習の場だけでは理解しきれなかった彼らの特性や本音もすぐに分かるようになりました。この経験は、指導者として、また、ご家族のサポートの面において、今、大変役立っております。

 

 そんな生き方をしていると、不思議と何か感じていただけるのか、ママ友や当時の仕事仲間を通じて、行く先々で家庭教師のご依頼やご相談をいただくようになりました。私の経験が役立つなら、となんでも引き受け色んなご家族のトラブルや悩みに寄り添い一緒に汗をかきながら徹夜しながら解決まで悩み尽くし乗り越えていきました。自分の家族の壁を乗り越えるのとはまた違う、安心感ではない達成感のようなものがわたしの極端な生き方の中心に輝くようになり、自然とそういう時間が増えていきました。気づけば生活の糧になるほどに仕事として機会をいただくようになりました。

 

 この頃、これまでの社会にあるような枠組みでは実現できない、もっと彼らにピッタリなサポートの形はないのか?と考えるようになりました。

 

 そして、この10年、息子たちのような子だけでなく、自信が持てない子や、勉強への意欲が空回りして荒れてしまった子など、停滞してしまっている子どもたちのためにどんな場を用意してあげられるか、考えてみては実際に試みていきました。何度も何種類も複数の現場でトライエラーを繰り返しました。情報収集し、こちらから声かけをし、すでにある現場にわたしのチームが加わり新しい要素を取り入れてもらう形で、実践を重ねていきました。(このときの体験だけでも1日中語れそう!充実した日々でした。)

 

 試して行く中では、学校、医療、専門家、公共、地域の方、施設など、ほんとうに多くの方々と関わらせていただいてきました。現場現場で関わらせていただきながらプロの解決方法もたくさん学ばせていただきました。たくさん勉強をさせていただきました。

 

 また、私のような一般家庭の人間が試行錯誤で身につけた実地のノウハウを教えてほしいと求めていただく機会も増え、協力する形でコミットさせていただきました。コラボで事業化したり、チームを組んで新しいカタチに挑戦してみたりなど、システムといえばいいのか、形といえばいいのか、組織とも表現できそうな、「何か」を探し続けた10年でした。

 

 しかし、どんな現場でもそうですが、資金と人手とノウハウが不足していて、色んな意味で精一杯なのです。教育や医療現場の方々の思いの多くは、「それぞれが助け合うことで多角的にサポートできる形を作りたい。」ということなのですが、ひとつの現場でひとりの子どものすべてを支えてあげられるような態勢というのは、ありそうで存在しえないのです。結局、今目の前の仕事の範囲内において、自力あるいは小さいチームで工夫していくということになります。

 

 結局、私のチームは私たち夫婦でした。そして、変わらぬ思いでずっと一緒にやってきた息子たちでした。小さくてもいいからひとつひとつ始めてみよう。そんな気持ちでゼロから再スタートし、小さな単位でもできることを模索していきました。

 

 私たちのこれらモチベーションは、息子たちがこれから生きていく上で役立つだろう経験や情報がどんどん増えたらいいなという思いです。彼らの両親である私たち自身が率先して息子たちの未来に関わり開拓しなくて、あとほかに誰に任せて出来上がったものを受け取るつもりなんだろう。どれも足りないと感じるなら自分で作り出せばいい。そんな気持ちです。

 

 実際には、私たちは「必然」の中でこの世界に関わっていると言われています。もしそうなら、わたしの周りにいる人たちが悩んでいることにわたしが関わるような生き方もまた必然なはず。自分だけの高みを目指す生き方を捨てて母の介護から始まり人の苦しみに関わる人生を選んできたのもまた必然なはず。

 

 いつでもゆとりも余裕もありませんでしたが、息子たちの未来に全く関係のない職種業種の世界に従事して時間を無駄にしたくないと感じてしまうのです。必然だから心もそう感じるように設計されているのでしょうか?茨道ばかりなのに。少しでも彼らに開かれた道を見出し、彼らの未来に、ひいては私たち夫婦の未来にさらなる光を灯したいのです。

 

 よく、素晴らしいことをなさっていますね、と言っていただけますが、そんなことはありません。どんどん自分たちのために勉強したいのです。還元したいなんて恐れ多いです。これは私たち家族の自己実現の一環なのです。欲深いことです。

 

 イベント、体操教室、相談窓口、放課後預かり、就業支援・・・あれもこれもやってみました。資金の許す限り、道を探り続けました。そうした中で一番手応えを感じられたのが学習塾でした。わたしたち家族にはどうやらこれがピッタリだったようです。

 

<学習塾事業を始めて分かったこと・学んだこと・気づいたこと>

 

 子供たちと向き合うと必ずセットで考えなくてはならない彼らの未来。教育は常に彼らの未来のためにあります。このなかで「就業」レベルの自立には、「学校教育を終えること」が大変重要であると気づきました。

 

 実際に自立に向けた取り組みをしてみるとよくわかるのですが、子どもの生活能力をUPさせ、学校についていけるよう学びをサポートし、安定した学生生活を送れるように尽力したご家庭の子どもたちの多くは、どんなIQであれどんな障害があれ、みな一様に自立の道にスムーズにつながっていったのです。

 

 彼らは、当たり前に、あるいは家族の協力を得て、毎日学校に通い、当たり前のことをきちんとこなしていました。彼らは、精神的にとても落ち着いていて、自分自身のことを特別低く扱うことも特別立派なものとして扱うこともありませんでした。興奮しすぎず冷めすぎず子どもらしく素直でした。

 

 子どもたちの違いはなんだろう。どうすればこの落ち着きが手に入れられるのか。生まれによるものなのか。育ちで変わることなのか。そんな問答の中で私たちはある1点の共通点に辿り着きました。それは、落ち着いた子はみな勉強を恐れていないということでした。あるいは、学力が上がった生徒たちが一様に発達障害レベルの情緒の波を安定させていったのです。学力が子どもたちの情緒を左右しているのは明らかでした。

 

 情緒が安定し自信に満たされIQが上がっていくと、脳機能が飛躍的にレベルアップし、すべてがうまく変化していく。

 

 これは実体験からの言葉です。当たり前に何度もその成果を目撃してきたということです。自信を持って証言できます。情緒の安定とIQ向上に読み書きそろばんを代表とする学習行為が密接に関わっています。これは事実です。

 

 確信するほど納得できたのは息子たちの情緒の変化を見た時でした。当然ながら、塾の生徒たちの情緒もまた学習の状況で変化していることが見て取れました。「学力」に向き合うことで、その他の生活面でのトラブルが落ち着いていくのです。

 

これが叶う現場を作ろう。すぐにイメージが湧きました。この数年手探りで続けてきたことがつながったような気持ちでした。どの経験も、塾のすべてに生かすことができそうだったからです。私自身、例に漏れず「生活力」を向上させれば「学力向上」のチャンスが生まれると思い込んでいました。そして信じてあれこれ挑戦してきました。それをひっくり返して「逆」にした途端(つまり学力の刺激を優先した途端)、成果がすぐに出始めたのには本当に驚きました。精神を安定させようとしたり生活面で厳しく制限をかけながらサポートしたりするよりも、楽しく学習ができることのほうが何倍も素敵な未来を導いたということです。

 

  こうして、にしじまひめじ学習塾は生まれました。

 この形でいいのだ、と思えました。

  模索は今もこれからも続いていきます。

 

 「学習すること」がもたらす恩恵は、すべての子どもたちを満たします。障害の有無は関係ありません。

 

 

 子どもの学力や意欲の程度にも関係ありません。適切な環境と最適な教材と彼らと信頼関係を築くことができる講師が揃えば、どんな高い目標や複雑な事情のあるお子さまでも、確実に、学習が楽しくなります。そして当然、学力にも反映されていきますので、生活をより豊かに、そして自信あふれたものにしていくことができます。

 

 当塾の子どもたちは、塾での学習時間だけでなく、日頃から自信と好奇心がまっすぐ出るようになるので目がキラキラしています。少しでも目が曇っていれば、よき先輩として、あるいは友達や家族のように、彼らに寄り添い、再び目に輝きが戻ってくるまで根気よく付き合います。時間がかかるように思えますが、学力向上を最短で目指すための、これが1番のコツなのです。

 

 おだてやおべんちゃら、過剰な褒めは、子どもを上から見下す行為です。彼らは瞬時にそれを見抜き、大人を見定めます。褒めなくても、叱らなくても、彼らは自分で出した結果を見て、自分たちを正しく評価することができます。

 

 大切なのは、彼らを継続して成功に導くための「最適な」ハードルです。当塾は完全個別カリキュラム態勢で、毎授業ごとに問題を選び、彼らの意欲と自信を維持し続けるための学習環境を提供します。飽きさせず、まるでゲームに挑戦しているような感覚で勉学に取り組むことができるので、刺激的で達成感のある時間となります。

 

 ひとつだけ注意してほしいことがあります。

 

 彼らの心に寄り添い最適なタイミングで最高の刺激を提供することは並大抵ではありません。塾に通うようになると、どん底にいた親子がお子様の笑顔により安心に包まれるようになります。お子様は塾を信頼し、塾を通して未来に期待を持てるようになり、生きることも案外悪くないと情緒を安定させ本心では望んでいた学習にしっかり取り組んでくれるようになります。が、これは通塾をはじめたことで起きた(塾が起こした)イレギュラーでもあるのです。本来なら時間をかけて経験しながら試行錯誤して起こっていっただろう変化です。

 

 保護者様がお子さまに余裕とゆとりができたと過信して、まだまだケアが必要な段階にもかかわらず早急に過去と同じ無理難題のある世界に戻してしまうと、来塾された頃の状態よりもむしろ悪化してしまうこともあります。そうなると、子どもというのは希望が砕かれ心を閉じてしまうのです。心が反応しないような鬱な状態になることもあります。どうかお子さま自身の力で乗り越えられるようになるまで、辛抱して成長を待ってあげてください。

 

 なぜ改まって申し上げたかというと、一度信頼できる大人を知ってしまうと、過去の苦しかった世界は子どもにとりもはや受け入れられない苦痛となってしまうからです。当たり前すぎて麻痺していた過去の世界は、知ってしまった豊かさとのコントラストで恐ろしく辛い世界へと変化しています。それを恐れた子どもたちは、塾にこられたときよりも悲痛なうつろな目をして戻されていくのです。それを見送る私たちの苦痛も計り知れません。

 

 わたしたちが塾を始めたことでそのような弊害が起きてしまうことは許し難いことです。どうか、ご縁をむすばせていただく際には、私たちは新しい家族を迎え入れる覚悟で全てを受け止めますから、同じように、ご家庭でもそれだけの強い気持ちで臨んでいただきたい。私たちは一時のトラブルを解決する便利なプロのナニーにはなりたくありません。大人として、双方に敬意をもった態度で子どもたちの素直な思いに誠実に応えたいと思っています。

 

にしじまひめじ学習塾

塾長 西嶋裕子